電子探訪記

モンハン好きのおっさんが残すライフログ、読書・ゲームがメイン

【ゲーム】ポケ森ではなく、3DSの「とびだせ どうぶつの森」を始める

妻は自分と違い、ほとんどゲームをしない。だが、「どうぶつの森 ポケットキャンプ」はリリースした日にダウンロードしてプレイしていた。

だが、先週末から何故か3DSどうぶつの森をプレイしている。本人曰く「急にやりたくなったらしい」

それ以来、ずっと3DSどうぶつの森をやっている。

「そんなに面白い?」と訊くと、「うーん…」と考え込んでしまう。どうも面白いというより、「コレもやらなくちゃ、アレもやらないと」という感じらしい。

楽しいというよりも、義務感に近い感覚らしい。

だが、彼女の様子を見ていると、面白くない=詰まらないという訳でのないらしい。本当に黙々とプレイしている。

傍でプレイしている様子を見させて貰ったが、操作が高速すぎて、何をしているのかさっぱり分からない。

ということで、いったい何がそんなにハマるのか、自分でプレイしてみないと分からないので、ヨドバシで最新版が2500円というサービス価格だったので、買って帰ることにする。

どうぶつの森 ポケットキャンプ」はスタート直後で諦めてしまったが、そんな自分がハマれるか。ちょっと楽しみではある。

コンビニのコーヒーの味の違いは分かる?

コンビニの100円の淹れたてコーヒーをよく飲んでいるだが、正直言ってそれぞれのコンビニのコーヒーの味の違いが全然分からない。

セブン・イレブン、ファミマ、ローソンが近くにあるので、気が向いたらコンビニで買っているのだけど、あまり違いが分からない。

あまりというか、全然分からない。

妻は、ファミマは若干酸味がキツくて、ローソンは濃い目、セブンは少し焙煎が強く焦げくさいが味は少し薄め、という感想。

自分は、「言われてみれば、そうかもしれない」という印象しかない。多分、目隠しされて飲んだら、100%分からない。

自分の味覚には、美味しいか、不味いか。好きか、嫌いかという判断基準しかない。

なので、せっかく手の込んだ料理を作って貰っても、「美味しい」以上の感想が言えないので、「感想はそれだけ?」と言われて、失望させてしまうことが多い。

書評や、映画やアニメの感想も、面白かったか、面白くなかったか。好きか、嫌いかという判断基準しかないので、レビューが単調で退屈なのだろうなぁと思う今日この頃。

【雑記】黄金時代を過ごしているかもしれない我々

「日本スゴイ」と異世界技術チートは、どこか似ている - シロクマの屑籠

この記事を読んで、少し前に書きかけて放置していた記事を投稿したくなったので、投稿しておく。

人間は相対的にしか幸福を感じることができない。少なくとも自分はそうだ。

周りと比較して、自分が幸福かどうか測っている。意識、無意識は別にして。

だが、100年前と比較したら、今の日本は物質的にはとんでもなく満たされている。大半の人が毎日お風呂やシャワーに入っているし、コンビニやスパーには大量のお菓子や果物などが置いてある。

衛生面や食生活のレベルから言えば、庶民と言われる人々さえ、200年くらい前であれば王侯貴族に匹敵するくらいレベルだし、娯楽に関しては音楽は数百万、数千万以上曲を自由に聴くことができる。これはどんな王侯貴族でも体験できなかったことだ。

書籍も一生涯、読み尽くすことができない量の本にアクセスすることができる。絵画に至っては動く絵画を毎晩観ることができるし、これも全てを観賞することが不可能な程の量がある。名作と言われる作品を観るだけでも、これまた人生の大半を費やす必要があるほどだ。

200年前であれば、世界一の権力者でも億万長者でも得られなかった体験を今の我々はしている。

もしかしたら、未来から見ても、今の日本は羨まられる程の黄金時代を過ごしているのかもしれない。

異世界食堂』などは今の日本の物質的な豊かさがどれほど素晴らしいものなのかを端的に示している。

『レクリエイター』でも同じように元の世界に比べて、今の日本の食事が多層的で複雑であり、味わいが深いことに感嘆している場面が多々描かれている。

コンビニの100円で買えるコーヒーでさえ、昔であれば、大名や将軍に献上できるほどの品質だ。

現実では色々と辛いことや苦しいことで溢れているが、好きな本や音楽、アニメや映画を観るとき、美味しい食事を味わうとき、温かい湯船に浸っているとき、「今の自分は、秦の始皇帝ローマ帝国の皇帝たちでも味わうことできないことを体験しているのだなぁ」と思い、独り悦に入っている。

同時代に生きる他の人と比べないで、過去の権力者と今の自分を比べてみると、今の自分が当たり前に享受していることが、他の時代の人々にとっては狂おしい程の羨望の的なのかもしれない。

そう想像すると、コンビニの100円コーヒーにも深い充足感を覚えることができるようになった今日この頃。

【モンハン】今の時期が一番ワクワクしているかもしれない

モンハンワールドまで約二ヶ月。

多分、この時期が一番ワクワクしているかもしれない。

実際にプレイすると、「なんかちょっと違うなぁ」「もうちょっとこうしてくれたら面白いのに」とかを思ってしまうので、どういったゲームなのかPVや限られたプレイ動画から、あれこれ想像するのが結構楽しい。

もしかしたら、実際にプレイしている時よりも楽しかったりするかもしれない。

βテストまでやることがないので、何か良いゲームはないかと探してはいるが、なかなか自分に合いそうなゲームがない。

「ポータルナイツ」がイマイチだったので、PS Vitaの「ドラクエビルダーズ」を買ってみたが、最終章の入り口でモチベーションが下がってしまい、途中で投げてしまった。

せっかく建物を作っても、章が変わる度にリセットされてしまうし、戦闘がゴリ押しするだけで、全然建物が役に立たず、タワーディフェンスの要素が限りなく低いのが自分に合わなかった。

もう数時間プレイすればクリアできると思うのだが、プレイしていて楽しくないゲームをクリアのためだけにやるのは、本末転倒なので他のゲームが何かないか物色中。

「人喰いの大鷲のトリコ」かPS Storeで大幅値下げキャンペーンやっていて実質半額のPS Vitaの「俺ガイル」を買ってみるか。

もしくは、ゲームのことは忘れて、読みたい本を幾つか買ってみるかなぁ。

妻が「どうぶつの森 ポケットキャンプ」を始めたが、ちょっと自分の趣向には合わないので、見送り中。ほんの少しさわりだけ遊んでみたが、面白さがよく分からなかった。うーむ、残念…

劇場版アニメのゴジラが予想外に面白かった【ネタバレ無し

アニメが好きで、ゴジラが好きであれば観て損はしない。

シンゴジラ」ほどの大傑作ではないが、ストーリーもコンパクトにまとまっていて、アクションシーンも十分カッコいいし、未来兵器もそこそこ魅力的。

立川シネマシティの爆音上映で観たからかもしれないが、砲撃や爆発、咆哮が良い感じで、迫力があった。

アニメ映画としては凄く上質な映画。

ただ「シンゴジラ」を100点とすると、60点くらいな感じ。

悪くはない。悪くはないのだが、「超すげぇ」とのめりこむ要素がなく、少しのっぺりした印象。

戦闘シーンもカッコイイのだが、「超カッコイイ!」と感嘆するというわけでもない。

ただ劇場のスクリーン、大音響で観る価値はある。

ユニクロ潜入取材の記事を読んだけど、消費者としたらどうすればいいのか思い悩む

「ユニクロ潜入1年」で見えた現場の疲弊、“やりがい搾取”の罠 | DOL特別レポート | ダイヤモンド・オンライン

上記の記事を読んだ。文春の掲載記事も読んだが、雑誌の記事はボリュームが欠けていたので、本の方を読むことにした。

コタツ記事が多い中、現場に潜入しての取材は著者が本当のジャーナリストだというのが分かる。

ライターとジャーナリストとは似て非なる者ということが分かった。

ただ、本の内容は目次を読めば想像できる範囲で、特にインパクトのあるものではなかった。

有数の国際企業の実態を報じることは大切だし、柳井帝国と化し、誰も意見する人がおらず、公表しているCSR(企業の社会的責任)が実態と乖離していることを、国民や消費者に知らせて、それを正していくように圧力を掛けることは重要だと思うのだが、単行本として1500円(Kindleだと1300円)出して読む価値があるかと言われれば、著者に対するお布施的な意味以外、新しい知見は得られないので、あまり一般受けはしない内容だと思った。

一言で言えば、退屈。こういう潜入取材は大切だし、社会的意義は大きいと思うのだが、ドキュメント本としては、平凡だった。

この辺のバランスというか、本としての面白さと、調査報道の意義とはイコールにはならない点が、難しいことだなぁと色々と考えさせられる本だった。

【モンハン】モンハン部でPlayStationPlus1ヶ月無料体験の抽選キャンペーン

モンハン部に登録している人限定で、PlayStation Plusの一ヶ月無料体験プロダクトコードの抽選キャンペーンが始まった。

自分のように、現在PlayStation Plusに加入しておらず、モンハンワールドβ版の時に加入しようと考えていた人には嬉しいキャンペーン。

12/9のβ版に備えて、キャンペーンに応募しよう!

【ゲーム】ポータルナイツを買ってプレイしたが…

MHXXにも少し飽きたので、ちょっと別のゲームをしたいと思い、気になっていたポータルナイツを遊んでみる。

最初の内は物珍しさから、6時間くらい連続でプレイしてしまったが、15レベルになった辺りで急速に飽きてしまった…

まず戦闘がオートターゲットなので、ちょっと単調すぎる。

弓を選んだけど、アクション後の硬直がないので、後転して距離を置いて攻撃→的が近付いて来たら後転して距離を稼ぎ攻撃。この繰り返し。全くプレイヤースキルを必要としない。

クラフトも種類が少なすぎて、武器の強化も派生があるわけではなく、木の弓→銅の弓→鉄の弓と、ひたすら順々に強い武器が作れるようになっていくだけ。

マインクラフト型ゲームなので、ブロックで建築ができるが、敵が攻めてくるわけではないので、家などを作る必要性がないので、ポータル付近に作業台などと野晒しで置くだけになってしまう。

ポータルが襲撃されて壊されるようにすれば、タワーディフェンス要素があって面白いと思うのだが、そういった要素は見当たらない。

もう少し作り込めば、良いゲームになりそうなんだけど、自分にはちょっとライトすぎて合わなかった。

モンハンは発売前の体験版とかをプレイしているときが一番ワクワクする

モンハンワールドのβテストがあるらしい。テストと言っても、実質的な体験版だと思われる。

自分的にはモンハンは発売直前の体験版をやりつつ、他にどんな要素があるのか想像しているときが、一番ワクワクして楽しい。

もしかしたら、発売直後よりも体験版をやっている時の方がワクワク度は高い気がする。

「MONSTER HUNTER: WORLD」最新インプレッション。その世界は“深化”を遂げ,隅々まで徹底的に“遊びやすさ”が行き届いている - 4Gamer.net 「MONSTER HUNTER: WORLD」開発陣にインタビュー。新しいモンハンの“世界”は厳しい生態系のピラミッドと大地の息吹を描く - 4Gamer.net

こういう記事を見ながら、「おお、コレは面白そう」「ああ、そんな新要素があるのか」など一喜一憂するのが、今が楽しかったりする。

石油が無尽蔵だという説が徐々に主流になりつつある?

数年前から、少しずつ日本でも広まりつつある学説

石油無機起源説について | みんなのコモディティコラム

個人的には説得力があるように思う。特に一度枯渇した油田がしばらくしたら、復活することはよく知られているし、巨大な隕石が衝突した場所が油田になっていることが多いことなどを考えると、マントルから滲み出してくる説の方が自然な気がする。

そう考えると、石油はほぼ無尽蔵ということになり、色々と経済とか環境とかが全く違った観点で見えてくる。

あまり関係ないけど、ある学説が主流になるには、既存の学説を主張していた古い学者が死んで世代交代するからであり、学者が支持する学説を変えることはほとんどないらしい。

確かに、今まで正しいと信じてきたことを変えるというのは結構大変。自分も未だに恐竜とか羽毛が生えているイメージ図を見せられても、違和感を覚えてしまうので、世代交代は必要なんだなぁと思う。

マネジメントの最重要点は「何をするかを決める」のではなく、「何をしないかを決める」こと

「いきいきママ」で業務が崩壊した話

産休育休がうざがられる原因

「誰かが休んだことを、他の誰かが責める」という状況を放置するマネージャーにはなりたくない。 | Books&Apps

産休・育休に入る部下を一年で二人も無事に見送った管理職です

現場レベルでの業務のマネジメントがホットエントリーしていたので、自分も最近身につまされているので、便乗して自分の考えを言語化しておく。

自分は管理職ではなく、課長補佐的な役職で、管理職になるように圧力を掛けられているが、やんわりと拒否している立場の人間だが、経済が縮小して、どこもかしこも右肩下がりでリソースが限られる今の日本で、管理職に求められるマネジメントは、「何をするかを決める」のではなく、「何をしないかを決める」能力ではないかと思っている。

今までやってきたことを、やらなくなれば、顧客満足度や売上げが下がるかもしれない。だが、そういったやらないことによるリスクと、減ってしまったリソースを天秤にかけ、何をやらないかを決断し、その決断による発生するリスク(責任)を負うすることが、課長職のマネジメントではないかと考えている。

部長以上の管理職にはもっと大局的な視点に立ったマネジメント能力が必要になるとは思うが、現場レベルで必要とされる管理職のマネジメントとは、個々の部下のタスク量と内容を把握し、タスクの優先度、重要度に応じて、捨てるべきタスクを選び出し、リソースの総量に応じて、タスクを再配分することだろう。

リソースがどんどん減っていて、どこも余裕がない中で、その「何をしないかを決める」ことができない課長職は、役に立たない平社員よりもはるかに会社組織にとって害悪になりつつあり、タスクを捨てる(切り捨てる)ことができない課長が仕切る現場は悪循環に陥り、疲弊して行くしかない。

最後の記事では、そのタスクの切り捨てができる人が管理職(課長)だったので、なんとか乗り切ることができたという稀有?な事例だろう。

「利益が足りないから、残業時間を減らせ」と言う課長は大勢いるが、「残業時間を減らす代わりに、◯◯とXXのタスクはやらなくていい」ということを指示してくれる課長はほとんどいない。

「業務を工夫して効率化して」「チーム内のメンバーを協力し合って」とは言うが、絶対と言っていいほど「XXをやらなくていい」とは言わない。

「業務を効率化して」「チーム内で協力して」と言うだけしかできない課長が多いし、そういう人に限ってそれを言うことがマネジメントだと思っている節がある。そんなのはマネジメントではないし、「業務を効率化して残業時間を減らせ」とかしか言えないのであれば、それは単にサービス残業の強要でしかない。

今の日本は経済の撤退戦をしているようなものであり、課長職には退却時の現場指揮官のような有能さが必要とされる時代になってしまったのだろう。

自分はそんな有能な指揮官には到底なれないので、指揮官を支えることができる下士官のような存在でありたいと思っている。給料は増えないけど…

自分の思考を言語化することは結構ハードルが高い

店主の雑駁: 知らないものほど信じてしまう

森博嗣氏のブログはよく見ているが、この記事が保守員の障害切り分け方法のお手本のような文章だった。

障害時、自分はほとんど同じような考え方をしながら、作業する。だが、いざ自分がしていることを文章にしてみようとすると、思考の断片をただ書き連ねた文章以前の文字の羅列でしかないものしかでなきない。

自分にもこのくらいの文章力が欲しい。この人のエッセイやブログが人気あるのは、人が普段無意識に考えていることを、こういう風に論理的かつ簡潔に表現(文章化)できるからなのだろう。

自分の思考を他者に説明(言語化)するのは結構ハードルが高い。特に論理的に流れるように書くのは、想像以上に難しい。

たぶん、森博嗣氏は思い付いた儘をつらつらと書いているに過ぎないのだろうけど、自分が同じようなしようとしても、頭の中ではきちんと論理的に考えているつもりでも文字にすると、流れがちぐはぐで、途中の色々な箇所に抜けがあり、全然論理的ではなかったりする。

自分では頭の中で言語化している“つもり”でも、実際に書き出してみると感覚的には6割くらいしかできていない。しかも、文節のような断片ばかりなので、まともに読めるような文章にするのに書き出すよりもはるかに時間がかかる。

自分の思考を読みやすく、理解しやすい文章で表現するのはある種の才能だよなぁと痛感する。

コンビニの廃棄なんで多いのとかそういう話

はてな界隈だと、コンビニ店長がその才能に飛び抜けているので、軽い嫉妬を覚える。

人が何かに集中している様を眺めること

中高とバスケットボールをしていたが、時折、無性にバスケがやりたくなる。

別に試合をしたい訳ではなく、ひたすら独りでドリブルやシュートの練習がしたくなる。

練習というより、ボールを自在に操りながら、身体を緩急をつけて動かしたくなるのだ。

急ターンするときのバスケシューズがキュッと鳴る音と、足裏のゴムクッションがコートを掴む感触。

身体を動かしながら、ボールを前後左右に振る。ボールが手に吸い付くように操り、ボールが身体の一部になったような感覚。

その感覚が味わいたくなり、月1回くらいの頻度で、個人開放日に市民体育館に行くことがある。

最初15分くらいはボールに慣れる為にひたすら同じ場所でドリブルを繰り返す。ボールが手に馴染むようになると今度は軽く歩きながら、ボールを身体の回りで突く。

時折、脚の間にボールを通したりしながら、徐々にスピードを上げて行く。車のギアを1速から2速に、2速から3速に切り替えるように、身体が温まってくるに従い段階的に動きをを早くして行く。

ダッシュ、ストップ、ターン。軽くフェイントを入れ、ターンしながら、ダッシュ。身体をほぐしながら、どんどんスピードを上げていく。

エンジンを吹かし、アクセルを踏み込んで、車をどんどん加速させて行くような高揚を感じて、もっと早く、もっと早くと限界までスピードを上げて行く感覚。

バスケットボールをある程度やった人にしか分からない独特の感覚であり、その昂ぶりは物凄く気持ちいい。

ボールを自在に操りながら、リズムカルにドリブルしながら、急激な緩急をつけて身体を動かすその感覚は、たぶんバスケ経験者にしか理解できない心地良さがある。

スピードを上げ過ぎて、ボールが身体について来ずに、あらぬ方向に飛んで行ってしまうことが間々あるけど、ボールを上手くハンドリングできているときのあの高揚感は何物にも代え難い。

実生活で鬱屈してくると、憂さ晴らしに、無性にその感覚を味わいたくなる。歳が歳なので、もう昔のようには動けないが、それでもボールをハンドリングしながら、身体を動かすのは良い。

年に1回か2回くらい、その練習に妻が付いて来ることがある。自分が練習に没頭している間、コートの端に座り、その様子をずっと眺めているのだ。

1時間余り、飽きずに眺めている。何回か退屈じゃないかと訊いたことがあるが、「別に退屈じゃないし、見ているだけで面白い」と言う。

どの辺が面白いのかよく理解できなかったが、先日、久しぶりに妻と一緒にダーツに行った時に、それが理解できた気がした。

体調がいまいちでどうも集中できなかったので自分は早々に投げるのを諦め、彼女がひたすら独りでダーツをしている様をぼんやり傍で眺めていた時、「ああ、もしかしたら、こんな感じなのかなぁ」と思った。

何か特段面白い訳ではないが、彼女が集中してダーツを投げ続ける様は、飽きることなく見ていられた。

ブツブツと小さく呟きながら、腕の振り方を確認しながら、手の動かし方や肩の角度を微調整を繰り返している様は、『羊と鋼の森』の調律師がピアノを調律していく情景を思い起こさせ、見ていて飽きることがなかった。

人が何かに集中して、試行錯誤しながら、身体の動きを調整していく様は、どこか惹かれるところがある。

ふとそんなことを思った次第。

疲れている時や余裕がない時にはニュースを遠ざける

体調が悪い時や、仕事が忙しくて余裕がない時には、極力ニュースに接しないようにしている。

世の中はこうあるべきという思いが強い性格なので、自分自身に余裕がない時にはあまりニュースとかを見ないようにしている。

東名高速の事故とかニュースを見てしまうと、憤りを感じてしまい、そういう人が放置されている現在の社会の有り様が正しくないから、改めるべきだと強く思ってしまい、そのニュースに接する度にストレスを感じることがある。

バスなどで二人掛けの席に、横に荷物などを置いて一人で占有している人を見ると、自分が座っていて傍から見ているだけでも苛々してしまう性格なので、そういう理不尽なニュースに接すると、怒りがこみ上げて来て、家にいるのに苛々することがある。

最近、その兆候が出始めているので、ちょっと余裕がなくなりつつあるので、意識的にニュースを遠ざけるようにしようと思う。

体調不良や仕事で目一杯で、余裕がない時には、悪いニュースなどからは距離を置くようにするのも、精神力を無駄に消耗しない為には結構重要だったりするなぁと、最近改めて思う。

とりあえず、愚痴に付き合ってくれる妻には感謝。