なぜ地球外生命体の痕跡が広大な宇宙などこにも見付からないのか。その問いに対する答えの一つとして、グレートフィルター理論がある。
簡単にいうと、宇宙の何処にも高度な文明な痕跡や形跡が見当たらないのは、過去にそのような文明を築いた生命体が一つもなかったらであり、そのような文明を築くまでに、何かとてつもない巨大な障害があり、広大な宇宙に発生したどんな文明も、それを超えらずに滅亡したからだという理論であり、その超えられない障壁のことをグレートフィルターという。
そして、少し前に東大が以下のような論文を発表した。
宇宙における生命〜どのように生まれたのか、そして命の星はいくつあるのか - 東京大学 大学院理学系研究科・理学部
アミノ酸のような有機物が、RNAを持つ生命体になる確率を計算したところ、その確率は恐ろしく低く、
例えとして「猿がタイプライターを打って、偶然、シェイクスピアの小説ができあがる」ようなもの
そのため、現在の観測可能な宇宙を超えて、観測不可能な宇宙の領域を含めても、生命体が発生したのは地球のみであるという仮説。
生命体の発生=グレートフィルターという理論である。
自分としては、フェルミのパラドックスの回答として、一番しっくり来る解答だと思った。
人類は既にグレートフィルターを超えているので、この先の将来に、グレートフィルターによる破滅はない。だが、この仮説が正しいとなると、太陽系を含め、広大な宇宙には、微生物も含めて、生命体が存在するのは地球だけということになり、火星にもエウロパにも生命体はいないことになり、この宇宙で人類は本当に孤独な存在ということになる。
もしそうならば、人類が宇宙に進出することができれば、広大な宇宙は人類だけの物であり、誰にも邪魔されたり、気兼ねすることなく、自由にすることができる。しかしながら、それはそれで、地球に人間がただ一人だけいるのと同じように、すごく寂しいことに思える。
仮に、近い未来に何らかの理由で人類が滅亡したら、宇宙は存在しなくなるのか?量子力学では観測者がいて初めて事象は確定するという理論からすると、人類という唯一の観測者がいなくなったら、今の宇宙は存在しない可能性があり、そういう考え方に基づくとこの宇宙は人類の為だけに存在するということになる。
そういう考え方をすると、中世のキリスト教的な「人間中心主義」や、この宇宙全体が、より高位な存在である者のシミュレーションでしかないというシミュレーション仮説とか、そもそも人間は何のために存在しているのかなど哲学的な事柄に発展していきそう。
火星探査が進んで、火星には過去から現在まで微生物も含めて、一切の生命の痕跡がなかったということが明らかになれば、生命の発生自体が全宇宙的にも稀有な事象であるという東大理学部の理論が正しい可能性が高まるのかもしれない。
ただ、個人的には、微生物も含めた生命体が地球だけにしか存在しないというのは、あまりに寂しすぎるなぁと思わずにはいられない。異星人とまではいかなくても、昆虫や動物レベルの地球外生命体くらいはどこかにいて欲しいというのが正直なところ。