電子探訪記

モンハン好きのおっさんが残すライフログ、読書・ゲームがメイン

人が何かに集中している様を眺めること

中高とバスケットボールをしていたが、時折、無性にバスケがやりたくなる。

別に試合をしたい訳ではなく、ひたすら独りでドリブルやシュートの練習がしたくなる。

練習というより、ボールを自在に操りながら、身体を緩急をつけて動かしたくなるのだ。

急ターンするときのバスケシューズがキュッと鳴る音と、足裏のゴムクッションがコートを掴む感触。

身体を動かしながら、ボールを前後左右に振る。ボールが手に吸い付くように操り、ボールが身体の一部になったような感覚。

その感覚が味わいたくなり、月1回くらいの頻度で、個人開放日に市民体育館に行くことがある。

最初15分くらいはボールに慣れる為にひたすら同じ場所でドリブルを繰り返す。ボールが手に馴染むようになると今度は軽く歩きながら、ボールを身体の回りで突く。

時折、脚の間にボールを通したりしながら、徐々にスピードを上げて行く。車のギアを1速から2速に、2速から3速に切り替えるように、身体が温まってくるに従い段階的に動きをを早くして行く。

ダッシュ、ストップ、ターン。軽くフェイントを入れ、ターンしながら、ダッシュ。身体をほぐしながら、どんどんスピードを上げていく。

エンジンを吹かし、アクセルを踏み込んで、車をどんどん加速させて行くような高揚を感じて、もっと早く、もっと早くと限界までスピードを上げて行く感覚。

バスケットボールをある程度やった人にしか分からない独特の感覚であり、その昂ぶりは物凄く気持ちいい。

ボールを自在に操りながら、リズムカルにドリブルしながら、急激な緩急をつけて身体を動かすその感覚は、たぶんバスケ経験者にしか理解できない心地良さがある。

スピードを上げ過ぎて、ボールが身体について来ずに、あらぬ方向に飛んで行ってしまうことが間々あるけど、ボールを上手くハンドリングできているときのあの高揚感は何物にも代え難い。

実生活で鬱屈してくると、憂さ晴らしに、無性にその感覚を味わいたくなる。歳が歳なので、もう昔のようには動けないが、それでもボールをハンドリングしながら、身体を動かすのは良い。

年に1回か2回くらい、その練習に妻が付いて来ることがある。自分が練習に没頭している間、コートの端に座り、その様子をずっと眺めているのだ。

1時間余り、飽きずに眺めている。何回か退屈じゃないかと訊いたことがあるが、「別に退屈じゃないし、見ているだけで面白い」と言う。

どの辺が面白いのかよく理解できなかったが、先日、久しぶりに妻と一緒にダーツに行った時に、それが理解できた気がした。

体調がいまいちでどうも集中できなかったので自分は早々に投げるのを諦め、彼女がひたすら独りでダーツをしている様をぼんやり傍で眺めていた時、「ああ、もしかしたら、こんな感じなのかなぁ」と思った。

何か特段面白い訳ではないが、彼女が集中してダーツを投げ続ける様は、飽きることなく見ていられた。

ブツブツと小さく呟きながら、腕の振り方を確認しながら、手の動かし方や肩の角度を微調整を繰り返している様は、『羊と鋼の森』の調律師がピアノを調律していく情景を思い起こさせ、見ていて飽きることがなかった。

人が何かに集中して、試行錯誤しながら、身体の動きを調整していく様は、どこか惹かれるところがある。

ふとそんなことを思った次第。