電子探訪記

モンハン好きのおっさんが残すライフログ、読書・ゲームがメイン

【雑記】黄金時代を過ごしているかもしれない我々

「日本スゴイ」と異世界技術チートは、どこか似ている - シロクマの屑籠

この記事を読んで、少し前に書きかけて放置していた記事を投稿したくなったので、投稿しておく。

人間は相対的にしか幸福を感じることができない。少なくとも自分はそうだ。

周りと比較して、自分が幸福かどうか測っている。意識、無意識は別にして。

だが、100年前と比較したら、今の日本は物質的にはとんでもなく満たされている。大半の人が毎日お風呂やシャワーに入っているし、コンビニやスパーには大量のお菓子や果物などが置いてある。

衛生面や食生活のレベルから言えば、庶民と言われる人々さえ、200年くらい前であれば王侯貴族に匹敵するくらいレベルだし、娯楽に関しては音楽は数百万、数千万以上曲を自由に聴くことができる。これはどんな王侯貴族でも体験できなかったことだ。

書籍も一生涯、読み尽くすことができない量の本にアクセスすることができる。絵画に至っては動く絵画を毎晩観ることができるし、これも全てを観賞することが不可能な程の量がある。名作と言われる作品を観るだけでも、これまた人生の大半を費やす必要があるほどだ。

200年前であれば、世界一の権力者でも億万長者でも得られなかった体験を今の我々はしている。

もしかしたら、未来から見ても、今の日本は羨まられる程の黄金時代を過ごしているのかもしれない。

異世界食堂』などは今の日本の物質的な豊かさがどれほど素晴らしいものなのかを端的に示している。

『レクリエイター』でも同じように元の世界に比べて、今の日本の食事が多層的で複雑であり、味わいが深いことに感嘆している場面が多々描かれている。

コンビニの100円で買えるコーヒーでさえ、昔であれば、大名や将軍に献上できるほどの品質だ。

現実では色々と辛いことや苦しいことで溢れているが、好きな本や音楽、アニメや映画を観るとき、美味しい食事を味わうとき、温かい湯船に浸っているとき、「今の自分は、秦の始皇帝ローマ帝国の皇帝たちでも味わうことできないことを体験しているのだなぁ」と思い、独り悦に入っている。

同時代に生きる他の人と比べないで、過去の権力者と今の自分を比べてみると、今の自分が当たり前に享受していることが、他の時代の人々にとっては狂おしい程の羨望の的なのかもしれない。

そう想像すると、コンビニの100円コーヒーにも深い充足感を覚えることができるようになった今日この頃。